月之抄 思無邪之身之事
思無邪之身之事*1
歌に
世の中の道を習わじすぐに行け 入り江小島に船寄せずとも
老父言う、邪なからんことを思え、身を直(すぐ)に歪まざるを用い、足の踏みよう八文字・一文字この二つなり。敵の方へ身なりすぐにせんためなり。鑓(やり)・長刀(なぎなた)・太刀諸道具ともにこの心同じ事なり。身の位思わずして道具に関われば、身を忘るるものなり。身をさえ知れば、いずれの諸道具も用に立つものなり。身の程を知りて道具を持てば、そのまま掛かりても当たらぬものなり*2。
また言う、思無邪は、五箇の身の真の位なりと云々、身のすぐみち*3の心持にて、物を持てばそのまま掛かりても当たらぬなり。道具我が身の盾となる心持なり。構えをせんと思わば、何時も上中下ともに相構えを用いる、これ活人剣の心持なり。
また言う、思無邪すぐなる心なり。諸事、万端かくの如し、と書くもあり。*4
月之抄 五箇之身位之事
老父言う、身を一重になすべきこと、敵の拳、我が肩とくらぶること、我が拳を盾にすべきこと、左の肘を伸ばすべきこと、前の膝に身をもたせ、後ろの足を伸ばすべきこと、これはその座より後ろへ引きのく者を追いかけ打つ時よし。
亡父の録、第一、身を一重になすべきこと、第二、敵の拳を我が肩にくらぶること、第三、身を沈にして我が拳を下げざること、第四、身をかがめ、先の膝に身をもたせ、後ろのえびらをひしぐこと、第五、我が左肘をかがめざること、云々。
またいう、構えはいつも相構えのことと書すもあり。
月之抄 目付三つの事
月之抄
柳生十兵衛三厳
習の目録の事
目付三つの事 (二星・嶺谷・遠山)
二星の目付の事
老父(柳生宗矩)の曰く、敵の拳両の腕なり。この働きを得ること肝要なり。
亡父(柳生宗厳)の目録には二星、不断の目付、左右の拳と書せるなり。
私(柳生三厳)言う、二星付けたり、色という心持ちあり。これは、二星は当て所なり。二星の動きを色と言うなり。二星を見んと思う心より、色々心付く心第一なり。重々の心持ち、至極までこれを用いるなり。
またいう、二つの星という心持ちも、二つを一つに見る心持ち、二つは一つなり。
またいう、目付八寸の心持ちという事あり。これと太刀の柄八寸の動きを心掛ければ、二星色もその内にあるというを以てなり。この二星の習い第一なり。これより種々の心持ちあるにより、しこうして初むる心を知る*1と云々。
嶺谷の目付の事
老父言う、右の腕の屈みめを嶺と言い、左を谷と言う。このへちぢめに心を付け、我が太刀先を其の方へ向ければ、地太刀にならぬ心持ちなり。二星より嶺谷までの間の動きを根本の目付と定めるなり。
亡父の目録には嶺(身のかかり右の肘)、谷(身のかかり、足踏み、左の肘)かくのごとく書せるもあり。
また言う、嶺谷付けたり相太刀*2にならざることとばかり書す目録もあり。
老父の目録に嶺谷同じく片手太刀、いずれも地太刀にならざる目付なりと書くもあり。
遠山の目付の事
老父言う、我が両の肩先打ち取り、押し合いなどになる時、この習いを用い、敵の太刀先、我が右の肩先へ来るときには、敵の右*3へ外すべし。左へ来るときはすぐに上より押し落とし勝つなり。我が太刀先何時も、嶺の目付敵の胸に心を付けて打ち込むべし。
また言う、組み物打ち合いの時、敵味方太刀先の遣い様に身の開き肝要なりと云々。 また言う、かしら書の録に遠山付けたり組み物になる時の心持ちともあり。
また言う、我が方よりは、敵の両の肩の間、胸へ太刀先をなすべしとも有り。
また言う、捕手・居合、何時も身際にしてはこの心持ち専なり。これより身際の心持ち色に出るなり。
亡父の録には遠山の事、斬り組みの時、双の肩とばかり書せるあり。